【映画】キャシャーンの思い出【推しすぎる邦画SF】

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映画『キャシャーン』——その映像美と物語の狭間で

2004年に公開された『キャシャーン』。原作のアニメ『新造人間キャシャーン』を大胆に実写映画化したこの作品は、スタイリッシュな映像と哲学的なテーマが絡み合い、観る者を魅了すると同時に賛否を巻き起こした。今回は、この独特な映画体験について語ってみたい。

映画『キャシャーン』基本情報

  • 公開日: 2004年4月24日
  • 監督・脚本・VFX: 紀里谷和明
  • 主演: 伊勢谷友介
  • 音楽: 鷺巣詩郎
  • 主題歌: 宇多田ヒカル「誰かの願いが叶うころ」
  • 原作: タツノコプロ『新造人間キャシャーン』
  • ジャンル: SF、アクション、ドラマ
  • 上映時間: 141分
  • 製作国: 日本

映画『キャシャーン』を振り返る

今日は映画『キャシャーン』について話します。
これは僕にとって原体験的な映画で、見終わった後に「一体何を見たんだ?」と強く感じた作品です。
序盤が非常に好きで、中盤までも本当に素晴らしいのですが、後半がとても嫌いという、なかなか珍しい映画なんですよね。

『キャシャーン』は2004年に公開された、アニメ『新造人間キャシャーン』の実写化作品です。
原作は1970年代にタツノコプロが制作したもので、その実写化という形になりました。

説明はあまり必要ないかもしれませんが、00年代以降の日本のSF映画で、これほどビジュアル面で突出した作品は他にないと思っています。
特に映画開始から40分間は、ビジュアル、ストーリー、音楽すべてが最高傑作の域に達しています。
SF好きなら思わず笑ってしまうくらい素晴らしいんですよ。

『キャシャーン』のビジュアルは、まさに「日本人が作るSF映画」として理想的な形です。
僕が初めてこの映画を見たのは子供の頃でしたが、前半の40分は本当に最高でしたし、今見返しても同じように最高だと感じます。

問題はその後なんです。
映画の展開が嫌いになっていく瞬間がはっきりしていて、何度も見返しているため自分の好みが明確になっています。
僕が嫌いな展開が始まるのは、唐沢さんが初めて喋る瞬間です。
新造人間役の唐沢さんが最初のセリフを発する瞬間まで、映画開始から約40分間、彼は一言も話さないのですが、その沈黙が破られた瞬間から徐々に映画が嫌いになってしまうんです。
映画を見ながら「嫌いになってきた…嫌い、嫌い、嫌い!」と感じるこの感覚さえも、逆に好きだったりします。

キャシャーンの魅力はやはりビジュアルと世界観

『キャシャーン』の魅力はその意味の分からなさにもあります。 考察好きが喜びそうな要素もあり、どこかエヴァンゲリオンのような雰囲気を感じさせますが、エヴァとは大きく異なる点があります。 それは『キャシャーン』がメッセージを非常に明確に伝えようとしている点です。あまりにもメッセージが直接的すぎて、考察する気も起きないほどなんですね。 終盤になるにつれて、「もうやめてくれ」と感じるほどメッセージが押し付けがましくなってしまうのが問題です。

結局、この映画を繰り返し見る理由は、ビジュアルと序盤40分の素晴らしさにあります。 しかし、それと同時に後半になるにつれて映画への好感が徐々に下がっていくという妙な感覚にも慣れてしまいました。 それでも最後には、どこか懐かしさを感じてしまう、不思議なノスタルジー映画でもあるのです。

この映画は元々のアニメ版『キャシャーン』とは大きく異なっています。 実際、公開前からポスターやビジュアルイメージが原作とは全く違っていたため、ファンの間でも賛否が分かれていました。 僕自身、原作アニメは見たことがなかったのですが、その後に公開された『キャシャーン Sins』などの別作品を通じて、改めてこの映画版が非常に独特な立ち位置にあることを理解しました。

ネットでは「実写化の失敗例」とも言われていますが、実際に見た人に話を聞くと、ほとんどが「嫌いになれない」と答えます。 誰も傑作とは言いませんが、「嫌いになれない」映画として独特な位置を占めています。 特に序盤の展開やビジュアルを評価する声は多く、僕の周囲でも完全に嫌いだという人には出会ったことがありません。 部分的には最高だが、全体としては尖りすぎているという意見が多いようです。

『キャシャーン』の序盤が評価される理由の一つは、映像を担当した庄野さんのCG技術にあります。 庄野さんの名前は知らなかったのですが、僕が子供の頃に遊んだゲーム『ガジェット』のCGを手がけていたのが実は庄野さんだったことを後で知りました。 このゲームも非常に独特で、謎めいたストーリーやスチームパンク的な世界観が魅力的でした。 映画の中でも、巨大な顔がパイプに埋め込まれたシーンや、歯車の描写、赤い照明など、独特のアングラ感とスチームパンク感が見事に表現されています。 特に新造人間を作るための赤いプールのシーンはビジュアルとして非常に印象的で、今見ても最高だと感じます。

映画のセットやCGのデザインも非常に印象的で、特に序盤の暗く汚れた世界観に赤いプールが登場するシーンは圧巻です。 新造人間を作り出す赤いプールのビジュアルは、独特な美しさがありました。映像面に関しては、当時のCGのレベルを超えて、アートの域に達していたと思います。 特にデザイナーの庄野さんや関わったスタッフの表現力が素晴らしく、あの時代の日本SF映画としては極まっていたと感じます。

また、映画の序盤で使われる音楽やセリフの絶妙なタイミングも印象的で、それぞれが非常に厳選されていました。 特に博士が息子の遺体を前にして「緑はどこだ?」と妻の身を案じるシーンは秀逸で、一言に込められた意味の深さというか「みんなズレてる」というか、戯曲的な悲劇セリフというか。
ようは少ないセリフで、それぞれの登場人物が全員べつのベクトルに向いていて、そのすれ違いが悲劇をうむ。

そして、みんなちょっと狂ってる感じが出てるところとか。いいですね、こういうの大好き。
また博士が新造人間のプールへ向かう際の狂気じみた行動や、主人公の「もうそっちには戻りたくないんだ」というセリフなど、序盤の展開とセリフ選びは非常に研ぎ澄まされています。

序盤では、新造人間たちが逃亡するシーンまでの流れも非常に見事で、この時点では100万点を付けたいほど素晴らしい出来です。 映画全体の評価を下げることは難しいほど序盤が完璧で、監督の感性や演出の素晴らしさを感じずにはいられません。

戦闘シーンに入り始めると素晴らしい世界観が崩れ始めていく

しかし、この映画には致命的な問題も存在します。 その最も大きな問題は音楽にあります。映画後半に入ると急に音楽のセンスが崩れてしまい、戦闘シーンでかかるBGMが映画の世界観を壊してしまうのです。 突然流れ出すありふれた戦闘シーンの音楽や、椎名林檎の歌入りの曲が世界観を乱し、前半40分までの完成度を台無しにしてしまいます。

しかし、この映画には致命的な問題があります。 その一番の問題は音楽です。 映画の後半に入ると音楽のセンスが一気に崩れてしまい、特に戦闘シーンで流れるBGMが世界観を壊してしまいます。 ありふれた戦闘音楽や椎名林檎の歌入りの曲が前半の緊張感や雰囲気を乱し、前半40分で作り上げた世界観を台無しにしています。 この映画を通じて、音楽が映画の世界観を作る上でいかに重要かを改めて実感しました。

また、る俳優陣の演技も映画の見どころの一つです。 特に小澤征悦さんはこの映画の世界観に非常に合っており、その独特な演技が作品に深みを与えています。 西島秀俊さんも当時はまだ知名度が低かったものの、既にその演技力や存在感は際立っていました。 俳優陣の演技に関しては非常に評価が高いにも関わらず、音楽や後半のストーリー展開がそれを台無しにしているのが惜しまれます。

メッセージを入れすぎて失敗してしまった作品

映画後半の問題点は、音楽だけではありません。セリフやストーリー展開にも大きな問題があります。 前半ではセリフが非常に厳選されており、最小限で最大限の効果を生み出していましたが、後半になるにつれてその質が落ちていきます。 特に心の中の会話が頻繁に登場し、それが非常に説明的で押し付けがましく感じられます。

映画の後半は反戦や戦争の無意味さを伝えるメッセージが前面に出てきますが、その伝え方があまりにも直接的すぎて、観客が自ら考える余地がほとんどなくなってしまいます。 新造人間に関する謎や考察要素もあるのに、全てセリフで説明されてしまうため、考察する気が起きないのです。 このセリフの多さとメッセージ性の強さが映画全体をくどくしてしまっています。

僕自身、子供の頃にこの映画を見て、後半に入ると「あ、嫌いだな」と感じました。 前半の完璧さが消えてしまい、後半はただ説教を聞かされているように感じてしまったのです。 メッセージは重要ですが、それをあまりにも直接的に語りすぎると逆効果になってしまいます。 映画という表現手段においては、言葉ではなく映像や演技、状況描写を通じてメッセージを伝えることが重要だと感じます。

戦争を描く映画は、その内容を淡々と、冷静に映し出すだけで十分メッセージが伝わります。 例えば、戦争の狂気や悲劇を淡々と描くだけで観客はその恐ろしさや虚しさを感じ取れるはずです。 しかし、この映画はその冷静さを失い、登場人物たちが感情的になり過ぎてしまっています。 その結果、「戦争は良くない」と繰り返し直接的に語られることで、説教臭く感じられてしまうのです。

戦争をしっかり描けばそれはもう反戦映画となる

戦争映画というものに対して一つの誤解が「戦争はよくない!」というメッセージを常に入れなければならないという発想です。

しかも、これを役者が口に出してつねに言うというのは、とてもいただけない。これがユルサれるのは、平和教育のために作られた映画だけです。

そもそも、戦争というのは知れば知るほど、誰もが嫌いになります。映画の世界ではなく、現実の世界の戦争のことです。思想など関係ない。戦争という俯瞰的なものの見方をするのではなく、戦場で一体何がおきていたのか?それを知れば知るほど、人はどんどんと戦争が嫌いになります。

である以上、戦争を描きさえすれば、それはもう反戦的なメッセージにが含まれます。ほたるの墓が戦争映画といわれたら、僕はまっさきに否定します。あれは戦争どころか、戦場なんて一つも描いてないんです。ただの戦時下映画。それでも、作中に「戦争はよくない」なんてセリフは一つもでてきません。そうでなければ、人の心は動かない。セリフでいう、言葉でいう、それほど安い反戦メッセージはありません。

しかし監督の意図や人間性は伝わります。べつに思想を入れることも、メッセージもいれることも悪いとはいいませんが、それが映画の質を高めるどころか、むしろマイナス要素となってしまったことは否めません。 戦争をテーマに扱うには、冷静な視点が必要であり、感情的になりすぎると逆効果になるという教訓は、この映画で十分にえられるはずです。

だからこそ『キャシャーン』から学ぶべきは、メッセージは言葉で直接語るのではなく、作品そのものに巧みに織り込むべきだということです。 そして、理解サせることや、納得させること、そんなものはたいしたものではないです。感じさせることが最も大事であり、そのために映像や演技があるし、ストーリーがある。メッセージなんてものは、映画には本来必要ありません。ただ、悲しみや、地獄や、戦いや、無情さが、深く観客の心に響くのだと思います。


(以下文字起こし)

今日はですね、映画『キャシャーン』ですね。
これがですね、もう僕の原体験的な映画というか、見終わった後に「一体何を見たんだ?」と思った作品です。
本当に、こんなに序盤が好きで、真ん中までめちゃくちゃ好きで、後半がこんなに嫌いな映画ってなかなかないんですよね。
『キャシャーン』は2004年に公開されたえー、まあ、あのアニメの有名な『キャシャーン』の実写化ということでございます。
原作のタツノコ作品は1970年代ぐらいにやっているという『新造人間キャシャーン』っていうのがあって、それを実写化するということになったわけですよね。
はいはいはいはいはい、もう説明の必要はやっぱないんじゃないですかね。
いや、これもご存知ないっていう方、今の時代だともうやっぱいると思うんですけれどもね。
あの00年代以降ですね、日本の映画のSFであのビジュアルを超えられたことは多分ないっす。
正直、そのビジュアル、ストーリー、音楽も含めてなんですけど、マジ40分ぐらいまではですね、映画40分までは最高傑作の空気です。
ね、笑っちゃうぐらいなんか、そのSF作品が好きな人はもう。
で、あのキャシャーンのビジュアルは、もう「ジャパンSF、日本人がやるSFとしたらもうこれだろ」みたいなやつなんですよね。
で、僕これ見たときはもう子供の頃なんです。
前半40分はマジで最高でした。
最高です。
いまだに見ても最高だなと思うんですよ。
はい。
問題がこっから後で。
もう始まりは僕の中で決まってんですよ。
これ何回も見直してるんで。
僕が好きなとこ嫌いなとこってめっちゃはっきりしてて。
この作品に関しては何回も見てるんでめちゃくちゃはっきりしてる。
僕の嫌いな何かが始まる瞬間っていうのが、もう唐沢さんが第一声する瞬間なんですよ。
あの、新造人間のその唐沢さんが「バッ」つって喋った瞬間。
それまで40分間喋んないんですよ。
なんですけど「バッ」って喋った瞬間から、はい、僕の、だんだん僕が嫌いになっていく。
「なこの映画は…」って言って見ながら、
「ああ、嫌いになってきた…
ああ、なってきた、なってきたぞ…ああ、嫌い、嫌い、嫌い!」
という、もうこの感覚も含めて好きなんすよ。
なんて言うんすかね、あの意味わからなさ。
あの、考察勢が好きそうな感じも、あの頃っぽいなっていう。
でもエヴァとやっぱりすごい違うのは、これメッセージがはっきりしてるっていうか、メッセージを伝えすぎてて考察する気なんか起きないというか。
その、もう「やめてくれよ」と思いながら触るんですよ最後。

いや、結局このビジュアルと前半40分までの満たされ具合でいつも見返して、
で、だんだんだんだん…なってくる。嫌いに(笑)
この感覚とかも慣れきっちゃって。
でも最後、もうあ、懐かしいっすよ。
もうノスタルジー。
完全にあの終わり方、あれはもう思い出っていう映画ですね。
はい。
ま、この映画なんですけど、ま、元々のアニメのキャシャーンともまるで違います。
ま、これはもう、あの僕は見る前から結構な人が言ってました。
見た人じゃないですよ、それは。
あの見る前から「あ、これ違うぞ」みたいな話になってて。
はい。
ていうのも、元々のタツノコのキャシャーンっていう『新造人間キャシャーン』っていうのと、もうその時に出てきたあのポスター、新造人間、あの、新しいその実写版のキャシャーンのポスターがもう180度違う。
そもそもメットかぶってない。
でもう、全く空気違う。
もうめっちゃダークな空気。
なので、あまりにもその「もう新しいキャシャーンをやるんだ」っていう空気感で確かあったと思いますね。
で、僕は元々のそのキャシャーン見たこと当然ないんですけど、その時は。
その後キャシャーン Sins とかね。
あとそのタツノコさんのその後の別のキャシャーンとかあるんですけど。
はい。
そういうのもあのありまして。
で、結局見るんですよ。
最初のキャシャーン、ものすごい違うから、それはもう「違うぞ」って言うんですけど。
これはね、多分ネットで見たことない人は「失敗した映画」とか「実写化の失敗映画」みたいな。
どっかで何かを見てるとか「良くない」みたいなことを見て「あ、良くないんだ」って思うかもしんないんだけど、
あのね、これ僕が聞いた限りの人ですよ?
はもう、みんな「嫌いになれない」って言ってます。
傑作とは絶対言わないんですよ。
だけど、「いや、あれは嫌いになれない」みたいな。
「いや、あれは嫌いになれない」。
元々のキャシャーン見てた方にやっぱ話聞いた時も、「あれは嫌いになれない」って。
で、結構な人がやっぱり僕と同じで、
「いや、前半はいいんだよね」みたいな。
「ビジュアルはいいんだよね」。
「ストーリーもね、前半まではね」みたいな。
ま、流れとかメッセージはいいよね、みたいな。
そ、いや部分部分めっちゃ褒めるけど全体的にアウトみたいな。
「いや、尖りすぎたね」みたいな。
「トータルで話すと尖りすぎたね」みたいな。
「やっぱ嫌いだな」
完全に嫌っていう人は僕の周りには未だ1回も出会ったことないですね。
めっちゃ珍しいことに。
で、あんだけ原作から変えてるのに、正直そのみんな「ダメだ」って言うけど、
「いやでもね、あれね、好きなとこいっぱいあるよ」
みたいな。
みんなこう言っていう。
っていうのもやっぱ、これはね、前半もう一発始まる展開ストーリーっていうのが、庄野さんのCGだからなんですよね。
これはもう僕も実は、この庄野さんっていう名前は知らずに、
いや、もちろん知らない。
このCGやってた小野さんって方は知らないけど、
あの、本当に僕が子供の頃にやったゲームなんですけど、
僕の家には、あの本当、あの最初に、あの金になるからっていう理由で倒産した会社から何かもらってきたのか、
使えもしないし使う気もないのにもらってきたパソコンがあったんですよ。
古い。
で、それをと一緒に、あのゲームとかも一緒にあったんすよ。
パソコンのゲームっていうのが。
その中の一つね、『ガジェット』っていうゲームがございまして。
はい。
あと『L-ZONE』とかね。
『アリス』とか。
生まれて初めてやったのがパソゲーなんですけど、中でも「なんだこれ?」みたいな、
「もう、なんかめっちゃ面白い!」
「何これ?」
みたいな『ガジェット』があったんですよね。
そう。
みんなちょっとヤバい。
ヤバい空気が。
「あ、これまともじゃねえ」
っていう人たちの意味のわからん謎のストーリーが始まるんですけど。
その『ガジェット』っていうゲームを僕は子供の頃にやってて、そのCGは小野さんだったんですよ。
で、もうその小野さんがこの映画をやってるわけですよ。
で、ま、その時も庄野さんって知らないんだけど、映像を見た時に、
「うわあ!」
みたいな。
「最高!」
みたいな。
「うわ、あのあれだ!」
みたいな。
アングラなCGアートっていう世界観で、さらにスチームパンクで。
あ、特にあの、人の顔の形がすごいパイプの中に埋め込まれて巨大なやつが出てきたりとか、
あと歯車ね。
歯車で、あのサビとか、あの感じとか。
うん。
あの赤いなんか、その照明の感じとかも。
それもCGめちゃくちゃ好きで。
で、そしてそれにセットもすごい好き。
あれ、漢字がしっかり入ってんだよね、その各所に。
もう暗くて汚くて、でもう。
で、ここに赤いプールあるじゃん。
新造人間を作るっていう赤いプール。
うん。
いや、あれいいわ。
あれいいわ。
正直ビジュアルで言ったら、
「LCLね? LCLのプールとこっちどっち好きっすか?」
って。
いや、キャシャーンのプールだな。
あの宮迫さん。
もう時代経ったね。
時代が変わった。
いや、もうあの映画の宮迫さんはいいよね。
今の宮迫さんを知ってて見るとめっちゃ微妙な空気するけどね。
やっぱね、情報に勝てない。
人は価値観も認識も全てそれに左右される。
今宮迫さん見たらもう違うって思っちゃうもんね。
全部変わっちゃうよ。
いや、変わっちゃうんだけど、やっぱいいわ。
あの宮迫さんは。
やっぱね、そのセット最高でね。
あの稲妻みたいなやつがブスッと刺さった後も最高だね。
もうあれも、スタートダッシュからマジで40分間、もう全部好きなんですよね。
当時のCGのレベルの低さとかもそうだし、
まあ僕もスペック厨なとこあるんですけど、
結局高画質だったり綺麗な音であったりとか、音質とか画質とか、美しいこと、綺麗なことって高詳細なことであったりとか、
えー、明確明瞭なことであったりとかする。
分かりやすいスペックっていうのが、まあみんなが共通認識できるレベルの高さだけど、
あれはもうあの時のCGっていうものを使った、いやもうバキバキのアートの方向だったんだよね。
超えられない。
あれは無理。
いや、もう極めた。
庄野さんのデザインは。
とか、あの時に関わってる他のデザイナーの方もそうだけど。
あれは極まった。
一回到達してるから。
あれ、あの時のあのCGにしかない。
あの時の日本のSFなんだよね。
そこにいるのが全員日本人なわけじゃないですか。
その日本人たちの日本人のSFっていう。
めっちゃ暗いダークな。
だからそこ最高なのがやっぱり序盤のCGとかもセットもめっちゃ最高なのと、さらにあそこの序盤のセリフ、ストーリー、音楽のタイミングがめっちゃ好きなんですよね。
そのセリフっていうのがその本当に限られたもので、で、さらに言うとやっぱまともじゃねえっていう。
みんなどっかおかしいんだなみたいな。
悲劇とか、そういう局の悲劇的なああいうセリフの回し方っすよ。
で、みんなそれぞれ思惑や方向性が全部バラバラになってるっていう感じを、
あのクラシックというか、えー、あの感じの音楽の中。
もうあれ最高っすよね。
で、やっぱその主人公が戦争に行って死んで帰ってきた後、
そいつが生きてるのか死んでるのかを全く説明せずに話が進んでいく、
あの感じ。
あれ好きだな。
いや、あの序盤の空気最高だね。
本当に。
セリフとかも、もう選び抜いた感じ。
あのよ、マジで選び抜いたな。
一番好きなのがやっぱあれね、
博士がさ、その新造人間ができてさ、もう殺されまくった後さ、
その主人公のさ、あの死体が入った棺桶を家のマイクでさ、
「緑はどこだ?」
っていう。
あれ最高だよね。
この一言で全てが詰まってる。
あの選び抜かれた「緑はどこだ?」
あれ、やべえわ。
いや、あれやばい。
あの「緑はどこだ?」は本当にやばい。
選び抜いたなっていう、この一言。
選び抜かれたわ。
マジで研ぎ澄まされたセリフっすね。
これの後に博士が、あの息子を連れて、新造人間のプール行くじゃないですか。
もうあの感じ最高で。
「やめろ!正気に戻れ!」みたいな。
みんな言うんだけど、こっちは
「博士、お前の理屈はわかる、だからこそやばい!」
っていう感じ。
「博士、いいマッドサイエンティスト。」
「あれは本当に素晴らしいマッドサイエンティスト。」
で、その時の幽霊かなんかわかんない時のあの状態の主人公の
「もうそっちには戻りたくないんだ。」
あのセリフも最高。
この序盤、マジでセリフ選び抜かれてて。
音楽もマジで、本当に。
「あ、マジで全部選んだわ、あれ。」
「もうなんか、もうマジで選び抜かれてる。」
で、その後、新造人間の奴らが逃げていく最中とかも最高でね。
喋るまでは、走るまでは最高なんだよな。
ここまで100万点なんすよ。
僕、もう。
で、ここでも100万点取られたから、もう後半嫌いでも結局無理なのね。
ゼロになるのは無理。
やっぱここのセンスはやばい。
あの監督もそうだし、もちろん監督のセンスもそうだし。
本当にここ、素晴らしいのよね。
で、いや、もしこれがね、ヒットしてたらなと思うとこあるんすよね。
「そう、これもしヒットしてたら…」と思うとこあるんだけど、
いや、だけど本当に。
あの前半40分までのビジュアル。
もうなんならもう後半もいい。
もういい。
ビジュアルに関しては全部いい。
で、宮迫さんが死ぬ、あの時もいい。
なんだ、ラストシーンだっていい。
ただ。
「いや、マジか…」
みたいな。
当時思ったな。
「嘘だろ…」
みたいな。
「もうここから違う…」
「もう…」
みたいな。
っていうのが。
この新造人間が反乱を起こす、わーって言って、ロボット作って戦い始めるぐらいから起こってしまうんですね。
いや、問題は。
一番の問題は、まず音楽なんだよな。
さっきからビジュアルの話ばっかりしてるけど、
いや、映画の半分は音楽だからね。
この音楽が問題でね。
いきなりさ、「デデデデデ」みたいな曲がかかるじゃないですか。
戦う戦闘シーンに。
ザ・戦闘シーンみたいな曲かかるじゃないですか。
「マジか」って。
子供の頃思った。
「嘘だろ…」
その時にありがちの曲なんですよね、あれ。
なんかその時の映画とかの戦闘シーンでめっちゃかかりそうだなみたいな曲がかかってきて。
「マジで? え? ここクラシックじゃねえの?」
みたいな。
うん。
いや、せめてもうちょいその、
「何にせよ、それじゃないだろ!」
みたいな。
で、案の定今見ても思うんだよね。
「え、ここでこの曲?」
「おかしくね?」
「え、世界観考えた?」
って。
だからやっぱ音楽っていうのは映画の世界観を作る上でめちゃくちゃ大事なんだなって。
だからやっぱ音楽っていうのは映画の世界観を作る上でめちゃくちゃ大事なんだなって。
改めて思ったわけです。
で、あの戦ってるシーンのビジュアルとかも僕好きなのよ。
あのCGは好きなんだけど、その…もう。
「椎名林檎!? 嘘だろ?」
と思って。
でも、さっきの「ドゥルルドゥルル」よりはマシよ。
椎名林檎の方が本当に。
だけど、いや、歌つきか…。
でもなんかここの曲のセンス、もう今でも思う。
いや、椎名林檎が悪いわけじゃない。
ただ、
「世界観を作ろうぜ」
みたいな。
「嘘だろ? 前半40分までの雰囲気、忘れたか?」
「何の曲かけてた?」
「どんな世界作ってた?」
「この音楽で?」
「映画って半分音楽だぜ?」
もうこれは感覚的にみんな感じることだから。
音楽が悪いと、それはみんな言わないと思うんだけど。
でも、映画見てる最中って結構音について気がつかないからね。
みんな映像に集中してるから。
だけど実はもう、興奮もそうだし、びっくりするのもそうだし。
それも半分ぐらい音でやってるのが映画だと思うんです。
その音がダメなら、もうダメ。
っていうのはもうこれは事実で。
あの映画は、本当にアクションシーンがバンバン入ってくるあたりから、
この音がどんどんセンスを失ってくんだよね。
世界観を崩し、崩してしまうの。
前半40分で作り上げた最高の世界を。
あとね、小澤征悦さんが出てくる。
この映画、本当に小澤征悦さんがいてくれるっていうのは最高すぎて。
僕、小澤征悦さんが一番好きなのはキャシャーンの時なのよ。
あの時の征悦さんのあの世界観に、征悦さんが合いすぎてるし。
あと、征悦さんのあのね、あの喋り方とかセリフとか演技とかっていうのが、こう戯曲化されたああいう大仰な世界というか。
そこにめっちゃ合ってて。
音楽はね、ごめんねって。
僕が謝ることはね、全くないんだ。
全くないんだけど、
あの時の役者さんがもったいなかったな。
もったいなかった。
で、西島さんは。
あの時はまさかあんなに西島さんが売れるなんて思わなかったね。
子供の頃は。
うん。
だけど、いや、多分そういうことなんだなっていうか。
こういう人がそういうふうに売れてくんだなっていうのは、やっぱ分かるよね。
うん。
あの、西島さんのザ・西島です、みたいな。
うん。
あれ良かったな。
もうなんか、もう役者全員良かったな。
うん。
全員な。
うん。
音楽。
まず音楽が、その結局。
ま、まずあれは良くない。
その世界観をマジで。
「なんで崩した?」
っていう。
あの音楽、良くない。
そして、セリフが増えれば増えるほど、おかしくなっていってしまった。
っていうのも、これもあって。
前半の、あのセリフ量とか。
もっと選び抜いたセリフとかが、なんか後半、なんか雑になってきて。
特に後半になってくると、心の中の会話みたいなのが始まるじゃないですか。
あれが本当に。
「ああ、やっちまった…」
っていうか。
ま、僕はもう見た時は。
「あ、嫌い」
っていう。
「ここ前半のあの最高がもうない、ここには。」
みたいな。
後半は、いわゆる反戦とか戦争、争い、そういうの良くないよっていうメッセージを伝えるためのセリフがすげえ出るんですよね。
もうなんか、それがもう強すぎて。
新造人間の謎多き要素が考察できそうなところはたくさんあるんだけど。
そこにもう全く。
「いや、もう言いたいことははっきりそれなんでしょ?」
ていう。
「分かりきってるから、もう。」
「もうそういうの読み解く気もこっちは起きません。」
みたいな。
で、これがはっきり言えば、くどいというか。
言いすぎ。
「あの、それ、セリフでそんな言っちゃいますか?」
っていうぐらいの。
最後の最後までそれが来て。
で、そのメッセージはよろしいんですが。
「よろしいんですが、前半40分返してくれ…」
「40分もう一回やってくれ、頼む!」
「今も絵がいい…!」
って思いながら。
「今も絵はいいんだ…!」
って思いながらも。
最後の、あの時も。
もう。
「絵…! ストーリーも、なんならいい…!」
「ただ…!」
「いや、マジか…!」
みたいな。
「嘘だろ…!」
「マジで…!?」
「なんでこんなに言う…!?」
みたいな。
そういう映画でした。
けど、そのセリフ、本当に言わなきゃダメか?
最近も似たようなことを聞いたぞ…という感じで、メッセージ性がどんどん強くなってくるんですよね。
はっきり言えば、思想が押し付けがましくなってしまって、最終的に観客が考える余地のない映画になってしまったんです。
なぜなら、セリフで全部説明しちゃってるから。
僕が子供の頃にこの映画を見たとき、最後には「うるせぇな…」って思ったんですよ。
こういうメッセージを口に出してしまう作品って、たぶんほぼ嫌いだと思う。
ストーリーで見せろ、演技で表現しろ。
セリフで全部説明するな。
思想を語り始めたら、もう説教臭くなってしまう。
「もう勘弁してくれよ…」って。
そういうふうに感じてしまうんですよ。
自分自身、メッセージ性の強い作品に対して、やかましいって思っちゃうタイプなんですよね。
で、やっぱり後半が本当に嫌い。
「それ、言う?」って。
だからもう、やっぱり言わないほうがいいよね、と思うんです。
ここで学ぶべきは、メッセージは語るんじゃなくて、作品に織り込んでいくこと。
戦争を描くこと自体が、すでにメッセージとなる。
例えば、戦争で人を殺しまくる主人公を描いたとする。
その通りやったら、めちゃくちゃ怖い奴がいるでしょ?
画面の向こうに、狂気じみた人間がいるでしょ?
それを見たら、戦争って狂ってるなって思う。
それで十分なんですよ。
わざわざ言わなくても、観客は感じ取る。
キャシャーンも戦争がテーマになっている。
戦争の中で、テロやら地獄やら、いろいろある。
それを映し出すだけで、戦争の恐ろしさは伝わるはず。
でも、この映画はメッセージを言いすぎた。
「だから戦争はダメなんだ!」
って、何度も何度も言葉で説明されると、逆に安っぽくなってしまうんです。
僕自身、昔はもっと尖っていて、「うるせぇよ!」って思っていたけど、今は「まあ、言いたいことは分かる」と思えるようになった。
ただ、それでも映画でここまでセリフで語っちゃうのは、やっぱりダメだろうって思う。
戦争を描くということは、反戦メッセージになってしまうのは当然。
でも、それならばなおさら、もっと冷静に、淡々と映し出すべきだった。
本当に戦争の狂気を描きたいなら、戦場カメラマンのように感情を排除して、ただひたすら戦場を映せばいい。
そうすれば、それだけで伝わる。
一番難しいのは「感情を込めずに戦場を描くこと」なんですよ。
でも、この映画は違った。
感情がありすぎる。
思想が強すぎる。
「違う、逆だ。
何の感情も持つな!」
戦場ジャーナリストみたいな視点で描いてほしかった。
戦争の英雄譚でも何でもいいけど、それをテーマにするなら、もっと冷徹に描くべきだった。
戦争の指導者になってみろ?
そんな簡単になれるわけがない。
それと同じで、反戦メッセージを伝えたいなら、もっと感情を抑えるべきだった。
でも、この映画は違う。
登場人物たちが、ずっと「戦争は良くない、戦争は良くない」って言い続ける。
「いや、お前ら、戦争してるじゃん!」
ってツッコミたくなる。
これが、映画の破綻している部分なんですよ。
結局、戦争を描くときに、理想とか思想を持ち込んでしまうと、どうしても説教臭くなってしまう。
戦争を描くなら、理想も夢も全部殺して、ただひたすらに事実を描けばいい。
それが一番辛くて、一番伝わる。
あの監督は、多分、甘かったんだと思う。
でも、理想家だったんだろうな。
すごくいい人なんだろうなって。
戦争を、まったくメッセージを込めずに描ける人って、ある意味で普通の感覚ではないと思うんですよ。
だから、この監督は「戦争は良くない!」と伝えたかった。
でも、それが逆に説教臭くなってしまった。
僕は子供の頃にこの映画を見て、「うるせぇな…」って思った。
でも、今は「まあ、いいやつなんだろうな…」と思う。
だから、監督を責めたくない。
「この人は、戦争をテーマにするには向いていなかっただけなんだろうな…」
と思う。
いいやつなんだよ、本当に。
ただ、戦争を描くのに向いていなかった。
それだけの話。
キャシャーンから学ぶべきことは、メッセージは言葉で伝えるんじゃなく、ストーリーに織り込むこと。
戦争を丁寧に、詳細に、感情を排除して描けば、反戦メッセージは自然と伝わる。
それで十分なんですよ。
『キャシャーン』を見て、改めてそう思いました。

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